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東京高等裁判所 昭和61年(行コ)41号 判決

主文

一  原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文と同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、原判決事実摘示のとおりであるからこれをここに引用する。

ただし、原判決二枚目表四行目の次に行を改めて「請求原因」を加え、同三枚目裏八行目、同一〇行目、同一〇枚目表五行目、同一一枚目表六行目及び同一一枚目裏八行目の各「渡」を「亘」と、同四枚目表三行目の「存ぼす」を「及ぼす」とそれぞれ改め、同七枚目表一行目の「超え」の次に「裁量権を濫用し」を加える。

第三  証拠〈省略〉

理由

当裁判所は、被控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものと判断するが、その理由は次のとおりである。

一  原判決事実摘示第二「当事者の主張」(但し補正したもの)中、請求原因一項、二項1、2(但し、本件各研修命令が被控訴人の意に反するものであったことを除く。)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、以下、本件各研修命令に被控訴人主張のような違法性があるか否かについて検討する。

1  本件各研修命令の発令に至る経緯等

前記当事者間に争いのない事実、〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができ、〈証拠〉中、右認定に反する各部分は前掲各証拠に照らして措信できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  被控訴人は、昭和二七年四月埼玉県内の村立中学校教諭に任命され、以来同県内の公立中学校教諭として勤続し、昭和四七年四月同県南埼玉郡宮代町立百間中学校(百間中)の教頭として着任したが、間もなく、同校生徒の学力水準が他校に比べて低く、生徒の非行もみられるうえ、教職員の規律が乱れているものと考え、校長を始めとする管理職にある者が率先垂範して勤務態度を厳正にし、リベートを拒否するなど学校出入りの教育関係業者との癒着を絶ち、予算に関する権限を校長から教頭に委任させて教頭の指導のもとに各教諭に分担させ、教頭自ら授業を担当するなど数々の校内改革を図ろうとした。

しかし、右のような改革の実現には十分な検討、慎重な準備等を要するところ被控訴人は、右改革を極度に重視しその実現を急ぐあまり、右問題について同校の校長遠藤健太郎と何らの協議もせず、独断的な方法で改革を推進しようとし、一方的に遠藤をもこれに従わせようとするような態度に出て、次第に校長たる遠藤の指導や助言を尊重せず、同人を軽視・疎外するようになり、やがて些細な事柄についても反発するようになった。そのため、遠藤は、被控訴人との職務上の関係に悩み、昭和五〇年ころには、町教委に対しこのままでは健康を損ねるとして転任を申し出るようになった。

(二)  町教委は、校長と教頭が反目していては生徒の教育上好ましくない影響が出ると考え、県教委事務局の出先機関である埼葛教育事務所長に対し、被控訴人を他に転任させてほしいと要請し、これを受けた同事務所長は、遠藤と被控訴人の両者に転出の内示をした。ところが、被控訴人は、昭和五〇年三月ころ、教育長及び埼葛教育事務所長宛に、遠藤の日常の勤務態度を逐一非難し同校長こそが被控訴人の意図する百間中の改革を妨げているものであるとする上申書を提出し、被控訴人の遠藤に対する態度は正当であると強く主張して自己の転任を肯じなかった。そのため、同事務所長は右転任の内示を撤回したが、そのころから、被控訴人は、町教委、教育長と意思の疎通を欠くようになり、同年七月ころからは、宮代町又は埼葛地区内の小・中学校教頭会(学校運営協議会、研究協議会、研究発表会など)(以下「教頭会」という。)について、出席する必要性を感じないとか、任意団体であって出席を強制されないとかあるいは担当している授業に差し支えるとか様々の理由を挙げてこれに出席しないようになり、その他の教頭としての職務の遂行についても、ますます独善的態度を強めるようになった。

そして、昭和五〇年四月百間中校長として新たに赴任した竹村茂次郎も、被控訴人がしばしば校長をないがしろにする態度をとるなどしたため、被控訴人との対応に神経を使い健康が優れないなどとして昭和五三年三月ころまでに他校への転任を希望した。

(三)  昭和五三年四月石島周助が新たに百間中校長として着任したが、被控訴人は、着任早々の石島に対し、県教委と係争中であるから校長に協力できないと明言し、学校と町教委との間の連絡事務を取り扱わず、校内文書の整理や対外的な公用報告文書(生徒、父兄宛のものを除く)の作成を怠り、校長と協議せずに独断で予算を執行するなど校長の補佐役としての教頭の職務をほとんど果たさなかった。また、被控訴人は、石島が出席した一年生による遠足終了後の慰労会の費用に業者から貰ったお茶代が一部含まれていたことを強く非難したり、水道の管理者は校長であるとして石島に対し故障した水道を直してこいと要求してペンチを机上に投げ出したりするなど些細な事柄についてしばしば石島を攻撃し、そのため、石島は、赴任して二、三か月後教育長に対し、涙ながらに窮状を訴える有様であった。

そして、被控訴人は、相変らず、教頭会に出席しなかったので、教育長は、昭和五四年一月初め被控訴人と石島を町教委に呼び出し、被控訴人に対し、(イ)教頭会に出席して県教委、町教委からの指示、連絡等を受けること(ロ)予算については独断を改め何事も校長と相談して執行すること(ハ)その他、石島校長を補佐し学校運営が円滑に行われるよう努めることなどを指示して厳しく指導し、さらに、同年二月二二日には、被控訴人が同日の教頭会を欠席したことについて、文書で厳重に注意した。

しかし、被控訴人は、その後も従来の態度を改めず、かえって、学校の職員会議の場などにおいて多数の教職員の面前で石島の指示に反発する姿勢を示し、同年三月二七日ころ教育長及び石島を名誉毀損罪で検察庁に告訴した。

町教委は、埼葛教育事務所に対し、被控訴人が校長と反目し学校運営に支障をきたしている旨報告して被控訴人を宮代町外へ転任させるよう内申し、同事務所も転出を検討したが、受入先の承諾が得られず、これを実現することはできなかった。

(四)  被控訴人は、昭和五四年三月三一日付で百間中から宮代町立須賀中学校(須賀中)教頭に転補されたが、被控訴人の意に反しており、同校の校長を含む教職員及び地域住民はすべて被控訴人にとっていわば敵であるから右転補は不利益処分であるなどとして、同年四月埼玉県人事委員会に右転補処分の取消しを求める審査請求をした。そして、被控訴人は、須賀中に着任するや間もなく、同校の大島誉校長に対し、自分は審査請求をしている身でありいつ百間中に戻るか分からないから須賀中校長の命令には従えない旨申し述べ、その後は、生徒指導等の細目を企画、準備するため本来教頭が中心となって開催するべきである週一回の学校運営委員会に殆んど出席せず、月二回の職員会議にも半分位しか出席せず、また、通常教頭の分掌事務とされていた資金前渡事務やPTA幹事を担当することを拒否し、修学旅行、林間学校、遠足などの学校行事について、これは県の通達によれば校長が引率して遂行すべきものであるとの解釈をとり、校長の要請を無視して一切参加せず、校長を補佐するべき教頭としての職務を殆んど行わなかった。さらに、被控訴人は、当初職員室内の自席で授業の準備等の執務を行っていたが、同年五月ころから、職員室では騒々しくて仕事ができないなどとして勝手に視聴覚教室や理科準備室などに移って一人で執務し、校長から注意されてもこれを改めなかった。

教育長は、被控訴人に対し、同年五月一六日付文書で、被控訴人が同年四月二七日及び同年五月四日の各教頭会に出席しなかったことにつき厳重注意を与え、埼葛教育事務所長は、同年九月ころ、被控訴人が二回の呼出しにも応じないため、自ら教育長を伴って須賀中に出向き、被控訴人に対し、教育長の指導に従い、校長を補佐し、教頭会に出席するよう注意した。

しかし、被控訴人は、文書をもってこれに反論するなどして依然として教頭会に出席せず、同年九月一三日ころ埼玉県人事委員会に大島校長の配置換えを要求したが、直ぐに同委員会から却下された。

須賀中のPTA会長谷沢良明は、被控訴人の校内における言動を聞知し、同年九月上旬ころ視聴覚教室で執務していた被控訴人と面談した結果、このままでは生徒の教育に好ましくない影響を及ぼすおそれがあると考えて、被控訴人の転出を求める署名運動を展開し、宮代町民約七〇〇名以上の署名を添えて要望書を埼葛教育事務所に提出したが、同年一〇月上旬には新聞二紙にその旨の記事が掲載された。これに対し、被控訴人は、同月一一日、大島校長、谷沢PTA会長、同校の新井康夫教諭、関根教育長の四名を、脅迫、名誉毀損、誣告、侮辱、公務員職権濫用、強要の各罪に該当するとして検察庁に告訴した。

(五)  教育長は、宮代町長、同助役とともに、県教委に対し、被控訴人が教頭としての職務を果たさないため学校運営に支障を生じ、ひいては生徒の教育に悪影響を及ぼすおそれがあるとして、被控訴人を宮代町外へ転出させるよう要望し、県教委も、これを理由があるものと認めて右転出に努めたが、どこからも受入れの承諾が得られず、実現できなかった。そこで、県教委は、この機会に被控訴人に、教育公務員、とくに教頭としてこの職務と責任についての研究と修養をさせるため現職(須賀中教頭の地位)のまま長期研修をさせることが必要かつ相当であると考え、昭和五五年一月一一日ころ埼玉県立教育センター(センター)から長期研修教員委託の内諾を得たうえ、埼葛教育事務所を通じて教育長に対し右研修命令を発するよう助言し、教育長は、同月一四日、町教委に諮ったうえでその委任に基づき被控訴人に対し、同月一六日から昭和五六年三月三一日までの間、センターにおいて「教育公務員(特に教頭として)の職務と責任の遂行のための研究と修養」を研修目的として研修することを命じた(第一次研修命令)。

(六)  被控訴人は、右研修命令を不当な措置であると考え、命令に応じた研修をする意思がなく、センターの指導も一切受けつけず、自主的に学校内規の調査研究などを行ったものの、従来の自己の職務態度を省みてみることをしなかったので、研修の成果は全く上がらず目的は達成されなかった。

そして、その後も、須賀中のPTA及び宮代町内の他の中学校の父兄などから被控訴人を同町外の中学校へ転出させて欲しいとの要望が続き、教育長は、これらの者とともに、埼葛教育事務所や県教委に対し、以前にも増して強くその旨陳情した。県教委は、被控訴人をできるだけ学校の教育現場に復帰させたいと考えてそのための努力をしたすえ、研修期間満了前の昭和五六年三月ころ、受入れ先の一応の内諾を得て、被控訴人に対し草加市内の中学校へ教頭として転任するよう話しを持ちかけたが、被控訴人がこれを拒否し草加市教育委員会教育長に面会して宮代町教委等と係争している事情を述べたため、転任を実現することができなかった。

そこで、県教委は、さらに被控訴人に引き続いて前回と同様の研修をさせることが必要かつ相当であるとしてその旨教育長に助言し、教育長は、前回と同様に町教委に諮って、同年三月三一日被控訴人に対し、同じ研修目的で同年四月一日から昭和五七年三月三一日まで研修することを命じた(第二次研修命令)。

(七)  被控訴人は、その後も従前と同様センターの指導を拒否し、殆んど自主研修も行わないでいたが、第二次研修期間が満了するころには、被控訴人を宮代町内の中学校へ戻すなとのPTAなどによる陳情が一層激しくなり、同町長や助役らもこれに加わって県教委に強く要望した。県教委は、当時、被控訴人を受け入れることについてはもはや県下のどの地区からも承諾を得ることができず、また被控訴人を須賀中に復帰させることも困難であったため、被控訴人にさらに長期研修を行わせることもやむを得ないものと判断し、その発令を教育長に助言し、教育長は従前と同様に町教委に諮ったうえで昭和五七年三月三一日被控訴人に対し、同じ研修目的で同年四月一日から昭和五八年三月三一日まで研修することを命じた(第三次研修命令)。

以上の事実が認められる。

被控訴人は、被控訴人が教頭としての職務を十分に遂行できなかったのは、教育長もしくは百間中、須賀中の各校長が被控訴人の正当な申出を全く無視し、また、被控訴人に対し教頭としての職務を与えなかったからである旨主張し、〈証拠〉は右主張に副うが、前掲各証拠に照らして信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2  教育長は本件各研修命令を発する権限を有しないとの主張について

(一)  まず、被控訴人は、本件各研修命令は、被控訴人の勤務態様、勤務場所等の変更をきたしその身分関係、地位に影響を及ぼすものであるから、転任処分と同じ性格のものであり、また行政処分にあたるというべきところ、町教委は、県費負担教職員たる被控訴人の任命権者ではなく、被控訴人の任用に関する処分を行うことができないから、本件各研修命令を発する権限を有しない旨主張する。

確かに、前記認定事実によれば、本件各研修命令は、須賀中の教頭として勤務していた被控訴人に対しセンターにおいて通算して昭和五五年一月一六日から昭和五八年三月三一日までの三年余に亘り研修を義務づけるものであるから、被控訴人の職務内容、勤務場所等に変更をきたすものであることが認められる。

しかしながら、前記認定のとおり、被控訴人は本件各研修命令後も従前と同様に須賀中教頭としての身分を有し、その地位及び基本的給与については変更もないのであるから、本件各研修命令を直ちに転任処分と同一であるということはできない。そして、町教委は、地教行法四三条に基づき服務監督権者として、県費負担教職員である被控訴人に対し、同法四五条により職務命令として研修を命ずることができるのであり、同条によれば、右研修の方法、内容、態様等については格別制限もなされていないから、町教委は、教育公務員としての職責を遂行させるために必要がある場合は、被控訴人を現職のまま相当長期間にわたり学校以外の教育関係施設で研修させることもできるものと解するのが相当である。この場合、研修命令により必然的に研修員の職務内容、勤務場所等に変更をもたらすこととなるが、それは右態様の研修命令に当然随伴する事態であるから、右のような勤務条件に変更をもたらす点があってもそのため町教委はその研修命令を発することができないとかその命令が違法であるとはいえない。

なお、右のような態様の研修命令が発せられた場合、研修員の従来の職務を補充するため他の教職員を新たに任命する必要を生ずることがあるから、町教委は、任命権者たる県教委との間で右研修の発令について事前に協議をする必要があるものというべきであるが、このことのために、町教委が右のような態様の研修命令を発する権限を有しないとすることはできない。また、被控訴人は、本件各研修命令は、実質上転任処分の性格を有し被控訴人の法律上の地位ないし権利関係に変動を生じさせるものとして公権力の行使である行政処分にあたるから、町教委はその発令権限がない旨主張するが、仮に本件各研修命令が行政処分にあたるとしても、そのため町教委にその発令権限がないということはできない。

したがって、町教委が被控訴人に対し本件各研修命令を発する権限を有しないとの被控訴人の主張は採用できない。

(二)  つぎに、被控訴人は、町教委は、たとえ本件各研修命令を発する権限を有しているとしても、その権限を教育長に委任することはできない旨主張する。

本件各研修命令が町教委から委任を受けた教育長によって発令されたことは前記認定のとおりであるが、地教行法二六条一項によれば、町教委は、その規則で定めるところにより町教委の権限に属する事務の一部を教育長に委任することができるのであり、町教委規則(前掲乙第五号証)一条には、町教委は同条一号ないし一五号に定める事項を除きその権限に属する教育事務を教育長に委任する旨規定されており、本件各研修命令のような特定の教育関係職員に対する具体的な研修の発令は右の除外事項として定められていないから、町教委は、本件各研修命令を発令する権限を教育長に委任することができるものと解するのが相当である。

したがって、被控訴人の右主張もまた理由がない。

3  裁量権濫用等の主張について

被控訴人は、本件各研修命令は、羈束裁量処分であり、仮に自由裁量処分であるとしても、何ら合理的理由を有せず、被控訴人を教育現場から隔離する目的で裁量権の範囲を逸脱し権利を濫用してなされたものであるから違法である旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、町教委は、地教行法四五条一項、四三条一項に基づき、県費負担教職員に対しその職責を遂行させるため必要な場合は、学校以外での相当の期間の研修を命ずることができるものであり、その要否、具体的な方法、内容、態様等は町教委の自由裁量事項に属するものと解するのが相当である。そして、前記認定事実によれば、被控訴人は、百間中の教頭となった当初、生徒の学力向上や教職員の勤務態度の厳正化などを目ざして校内改革を図ろうとし、その実現のために熱意をもって積極的に取り組んでいたものであるとはいえるが、しかし被控訴人は、右改革を独善的に推進しようとした余り校長等との意思の疎通を欠くに至り、ついに、第一次研修命令発令の直前ころには、校長を助け、校務を整理するという本来の教頭としての職務(学校教育法二八条四項)を殆んど行わなかったものであり、これら前記認定の事実関係のもとにおいては、被控訴人の服務監督権者である町教委からその委任を受けた教育長が、被控訴人に対し、教頭としての職責遂行のための研修をさせる目的で本件各研修命令を発令したことは、やむを得ない措置であって、相当の合理性があったものというベきである。

したがって、本件各研修命令が、被控訴人を学校の教育現場から隔離することのみを目的として裁量権の範囲を逸脱し権利を濫用してなされたものということはできず、被控訴人の右主張は、採用することができない。

三  以上のとおりであり、本件各研修命令にはなんらの違法事由の存在も認められないから、その余の点につき判断するまでもなく、被控訴人の本訴請求は、失当としてこれを棄却すべきである。

よって、これと異なる原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人敗訴の部分を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田尾桃二 裁判官 仙田富士夫 裁判官 市川頼明)

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